2012年4月28日土曜日

ドイツ・ハンブルクについてのメモ 都市のデザイン編 その5

5.塁堡跡の帯状緑地


1800年前後、ハンブルクはナポレオン率いるフランス軍に戦意の無さを伝えるために市域を囲む城壁を取り壊した。
この行為は裏目に出てしまい、1806~1814年にかけてフランス軍に占領された。
1813-14年の冬、皮肉にも占領軍は市民に対して城壁の再建と塁堡の樹木の伐採を命じた。

占領軍が退いたのち、ハンブルク市は塁堡跡地に公園を整備する計画を立てる。
公園の設計はブレーメンの城壁跡地の公園整備を手がけたアイザック・アルトマン(Isaak Altmann)。




現在では新たに日本庭園や植物園も加えられている。



地図を見ると中心市街地が運河、湖、河川、帯状の緑地で囲まれていることがわかる。
都市のレクリエーションの視点から見ると、緑と触れる様々な環境があり、それがネットワークされている価値は大きいのではないかと感じた。



参考資料
wikipedia アイザック・アルトマン
http://de.wikipedia.org/wiki/Hamburger_Wallanlagen


Hamburg environment-has-a-story
http://hamburggreencapital.eu/contentblob/2819910/data/environment-has-a-story.pdf


hamburg-green-spaces
http://www.hamburg.de/contentblob/1387248/data/hamburg-green-spaces.pdf




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