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2012年3月23日金曜日

イタリア・ローマについてのメモ 都市のデザイン編 目次

街を歩いて気づいた5つのデザインについてまとめました。




イタリア・ローマについてのメモ 都市のデザイン編 その1

地形を利用したデザイン
7つの丘と呼ばれる通り、市内には起伏が多く、階段や坂道を活かしたデザインが見られる。



カンピドーリオ広場
ミケランジェロによる設計。楕円形の模様や平行ではない建物の配置。
階段によるアプローチと組み合わせることで動的な空間をより強調している。


・スペイン階段
平面的に膨らみを持った踊り場を設けることで広場のような空間となっている。
 階段の前の通りと直行するように位置しており、ランドマークとしての機能も高い。

・サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
緩やかな起伏の頂点に位置する。教会前面のデザインと斜め方向への傾斜によってパースペクティブを強調していた。


イタリア・ローマについてのメモ 都市のデザイン編 その2

建物ファサードの装飾・街中の彫刻
彫刻と遺跡を伴った公共空間の質の高さは際立っていた。


・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂
街のメインストリートの一つ、 コルソ通りと直行する位置に設けられている。

・トレヴィの泉
15世紀初頭、中世の荒廃を経て、ローマの水道はほとんど使用不能になっていた中、トレヴィの泉とその水源であるヴェルゴ水道のみが欠陥がありつつも維持・使用されていたという。 
当時噴水は都市の美観を保つためだけではなく、住民が生活用水を確保する場所としての役割も有していた。

参考URL

・カンピドーリオ広場
広場を囲む建物のデザインの重要性。


・古代遺跡
古代ローマ帝国の遺跡が街の至る所に散らばっている。

フォロロマーノ




コロッセオ




・何気ない彫刻
この写真から彫刻がなくなった様子を想像するとその存在感の大きさがわかる。





イタリア・ローマについてのメモ 都市のデザイン編 その3

・コルソ通りの歩行者専用道路
ポポロ広場からは直線のバブイーノ通り、コルソ通り、リベッタ通りが放射状に延びている。
中でもポポロ広場とヴェネチア広場を結ぶコルソ通りは一部歩行者専用道路として整備されており、ブティックやカフェが多く立地している(上写真中央)。
夜はイタリアらしい()ライティングがなされており、街中での位置の把握にはとても便利な通りだった。

イタリア・ローマについてのメモ 都市のデザイン編 その4

・テヴェレ川沿いの歩道
テヴェレ川沿いの道路は交通量も多く歩道も狭いため歩きやすいわけではないが、歩道に沿って植えられたプラタナスの並木と川の景観は見事だった。 
高低差はあるが水面に近い遊歩道に降りることもできる。


プラタナスの並木のモザイク画のような木肌、川に枝垂れた枝によってできたトンネルのような空間。
ドイツでは冬季の旅行が多く、公園や目抜き通りを歩いても葉の落ちた並木の様子に寒々しい印象を受けることが多かった。冬葉が落ちても美しい印象を保てる工夫が必要なのだろうと感じた。 



テヴェレ川の中州、ティベリーナ島には水面に近い位置に遊歩道が設けられている。
 川に対して柵はない。親水空間を作るときは、柵の有無よりも高低差の無さの方が重要なのかもしれない。


イタリア・ローマについてのメモ 都市のデザイン編 その5

・複雑な街路網で起こる歩車共存

ローマ市内は不整形の街区と細い街路が多い。このような街路では交通量は少なく、速度は遅い。
一部の街路では、歩道と車道の境界が曖昧になっており、車がいないときには車道へ人が溢れ出していた。
細く不整形な街路は防災面の観点から取り壊される場合があるが、人が優位の空間を作る上では効果的だなと感じた。


イタリア・ローマについてのメモ 都市の構造編へ 

イタリア・ローマについてのメモ 都市改造編

都市改造の記憶

ローマの旧市街地内部には複雑な街路網の中に軸の通った計画的道路が散見される。

今回はローマのルネッサンス~バロック期(15世紀から16世紀)に行われた都市改造と、
1930年ムッソリーニ政権によって行われたフォロロマーノ・コロッセオ周辺の都市改造について述べる。


・ルネッサンス~バロック期(15世紀から16世紀)に行われた都市改造

①15世紀初期から起こる教皇庁による都市計画への介入

15世紀初期ローマではMaestri di Strada(都市管理官)が都市環境整備を行う機関として設けられていた。
都市管理官は当初、ローマ市に属する都市行政の専門職員であり、市壁、住居、街路、広場、公共施設に関する問題を受け持っていたが、
1410年以降、都市管理管が作成するローマの都市環境に関する条例などに教皇庁の介入が目立つようになる。
(後には都市管理官に教皇庁から給料が払われるようになる。)

1452年には教皇ニコラウス5世によって「ニコラウス5世によって新たに承認された都市管理官に関する法規」が示された。
この文書では教会やモニュメントだけでなく、街路や広場、水道、噴水、テヴェレ川の整備について詳しく述べられていたという。

教皇庁がこのような都市計画に対して深く関与する背景として、

・13051378年、教皇のアヴィニョン捕囚期に進んだ街の荒廃
・インフラの再整備の必要性 (15世紀初めはヴェルゴ水道(トレヴィの泉の水源)を覗きローマの水道はほとんど使用不能になっていた)
・聖年1450年、巡礼者が殺到することによっておこったローマの混乱
・建築家アルベルティとニコラウス5世の関係
等が示唆されている。


②ルネサンスの到来(ローマでは15世紀半ば~1527)及びローマ略奪(1527)よる荒廃

15世紀半ばから教皇庁がパトロンとなり教会の修復や街路の整備などが行われていった。
教皇ユリウス2世とブラマンテによるサンピエトロ大聖堂再建計画(1505)や、ジュリア通り(Via Giulia)建設計画(1508)などが有名。

1527年は神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世による教皇領のローマで殺戮、破壊、強奪、強姦(ローマ略奪)により市内は再び荒廃した。

参考資料
岡北一孝 著「ニコラウス五世による1452年の “Maestri di Strada  に関する法令とアルベルティの関係について」
ローマの街歩きへのおすすめ  Invito ad una passeggiata a Roma
歴史的ストリートを歩こう ローマ市公式ページ
佐々木学 著「ローマ・フィオレンティーニ地区におけるジューリア通りの建設と発展」


③教皇シクトゥウス5世による都市改造(15851590)

教皇領での治安の悪化、市内に分散する教会同士の良好な接続(巡礼地としての再整備)の為、教皇シクトゥウス5世による都市改造が行われた。

都市改造の特徴として、当時巡礼地として機能していた重要な教会を結ぶように直線の道路を計画したこと、ランドマークとなるオベリスクを通りに設置したことがあげられる。

ポポロ広場から放射状に延びるリベッタ通り、コルソ通り、バビィーノ通り、トリニタ・デイ・モンティ教会からサンタ・クローチェ・イン・ジュルザレンメ教会に至る軸線等が整備された。

参考資料
シクストゥス五世の都市計画
Wikipedia  シクストゥス5 (ローマ教皇)
Grand Ideas in City Making
BLACKSPACES'S BLOG



・ムッソリーニによる都市改造

1930年ムッソリーニ政権によって、コロッセオを取り囲む円形の道路、及びコロッセオとエマヌエーレ2世記念堂を結ぶ広幅員の道路が建設された。

コロッセオ周辺の道路については1995年から元の状態へ戻すプロジェクトが進行している。

以下のサイトで道路建設時、及び建設後の写真を見ることができます。


参考資料
My Architectural Moleskine The Roman Colosseum

2012年3月22日木曜日

イタリア・ローマについてのメモ 都市の構造編


・概要 
名称:                       Roma
人口 population:                2,718,768 (2008)
失業率 unemployment rate10.4 %(2012. 12)
面積 area:                       1285.31 km² (128,531ha)

イタリア共和国の首都、ラツィオ州の州都ローマ。7つの丘の街といわれる通り、市内には坂道や階段が数多くあり、~の丘や~階段といった名所が数多くある。市内にはテヴェレ川が流れる。


参考URL
Rome Facts and Figures
economic research, federal reserve bank of st. louis

・都市構造の成立期
双子の兄弟ロムルスとレムスが紀元前753年に建国したと伝えられるローマは、南のギリシア植民都市と北のエトルリアを結ぶ交易都市として発展した。
紀元前7世紀頃には都市国家としての整備が進んだ。パラティーノの丘とカンピドリオの丘の間に排水路が設けられ、湿地を乾燥させた場所には公共の施設フォロ・ロマーノが作られた。
紀元前27年ローマ帝国の首都となり、皇帝アウグストゥスの時代には100万人が居住する世界最大の都市となった。
皇帝ネロ統治時の64年に市域の2/3を焼失するローマ大火が発生した。これを機にネロは乱雑な建物に規制を施し、区画整備を推進した。こうしてローマは整然とした町並みを手に入れた(Wikipedia より)

参考資料
地球の歩き方 イタリア’12-‘13
Wikipedia


都市の構造

・地形
オレンジ色の点線は昔城壁があった場所をトレースしたもの。市内には大小の起伏が多数ある。

・水系
街を南北に貫くテヴェレ川。河川と道路の高低差が大きく親水性は高くない。


・緑地
古代ローマの遺跡、フォロ・ロマーノ周辺の緑地が目立つ。

・街路網
城壁に囲まれていた範囲は細い路地や曲がりくねった街路が多いが、
所々筋の通った直線の道路が見られる。
城壁の外にも複雑な街路網が見られるがこれはローマの起伏にとんだ地形が影響しているものと考えられる。


・路線網
鉄道、地下鉄、トラムが整備されている。ターミナル駅は旧市街地の東側に位置するテルミニ駅。
路線図は左から鉄道、 地下鉄、 トラム、 下は全ネットワーク。




・バチカン市国
テヴェレ川の西側には世界最小の主権国家・バチカン市国がある。

・都市改造の跡



①教皇シクトゥウス5世による都市改造(15851590)(詳細はこちら)
教皇領での治安の悪化、市内に分散する教会同士の良好な接続(巡礼地としての再整備)の為、教皇シクトゥウス5世による都市改造が行われた(数青線)。
都市改造の特徴として、当時巡礼地として機能していた重要な教会を結ぶように直線の道路を計画したこと、ランドマークとなるオベリスクを通りに設置したことがあげられる。


ポポロ広場から放射状に延びるリベッタ通り、コルソ通り、バビィーノ通り、トリニタ・デイ・モンティ教会からサンタ・クローチェ・イン・ジュルザレンメ教会に至る軸線等が整備された。




②ムッソリーニによる都市改造

1930年ムッソリーニ政権によって、コロッセオを取り囲む円形の道路、及びコロッセオとエマヌエーレ2世記念堂を結ぶ広幅員のフォーリ・イン・ペリアーリ通りが建設された(下図紫線)。


コロッセオ周辺の道路については1995年から元の状態へ戻すプロジェクトが進行している。

以下のサイトで道路建設時、及び建設後の写真を見ることができます。




次は イタリア・ローマについてのメモ 都市のデザイン編 です。