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2012年3月21日水曜日

ドイツ・ベルリンについてのメモ 都市のデザイン編 目次



中世都市を背景とするドイツ都市の多くは昔城壁で囲まれていた旧市街地内を保存・修復し商業施設や歩行者専用道路を用いたメインストリートを設けている場合が多いがベルリンにはそれがない。

赤の市庁舎の横、ニコライ教会周辺は一部車交通を排除した地区が設けられていたがその規模は大きくない。

不思議に思いツアリストインフォメーションで地図をもらう際歩行者専用道路が整備された通りはないのか聞いてみた。

係の女性曰く、ベルリンは他の小さな都市とは違って都会であり、大きな街であると。
だからそのような歩行者専用道路はないと言われた。

ドイツ第2、第3の都市ハンブルクやミュンヘンも大規模な歩行者専用道路を有しており、都会だからないというのは納得できるものではないが、
ベルリンが経験してきた歴史的、社会的な要因がこの違いに大きく影響しているのだと思う。


・重層的な街
ベルリンには様々な中心や軸が存在するが、他の都市と異なり城壁の境界とは関係なくそれがある。
これは、19世紀以降それぞれ異なる社会状況の中で大規模な都市改造が行われたからだと推察する。

1862年に100年後の人口を400万人と想定した「ベルリンのための新建設計画(ホープレヒト計画)」、
1924年から始まる大ジートルングの建設、1933~45年のヒットラー政権下に計画された「ベルリン都市改造計画(世界首都ゲルマニアの建設)」、
戦災からの復興、
1961年のベルリンの壁建設、
1989年のベルリンの壁崩壊とその後に起こった新たな都市開発等々。

時代ことにその時代の問題や価値観に沿って街に様々な要素が重ねられていったようだ。
このような状況を念頭におき今回の旅行で歩くことができた以下の地区について少しまとめてみる。



















ドイツ・ベルリンについてのメモ 都市のデザイン編 その1

・古い街並みの雰囲気を残すニコライ地区周辺

ベルリンには他のドイツ都市と異なり中世の面影を残す街並みを残すエリアが少ないが、ニコライ教会周辺の一部の地区は車交通が止められ、直線でない街路で構成された環境がある。






ドイツ・ベルリンについてのメモ 都市のデザイン編 その2

・シュプレー川の中州に位置する博物館の島 ムゼウムスィンゼル(Museumsinsel)

13世紀の成立時はベルリンとケルンという二つの街がシュプレー川を挟んで発展していたが、博物館島はこのケルンがあった場所である。

1810年、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世はベルリンに公的な博物館を設置するように命じ、1822年カール・フリードリヒ・シンケルが旧博物館の設計を依頼されたという。

現在ではこの小さな島の中に、旧博物館、新博物館、旧国立美術館、ペルガモン博物館、ボーデ博物館が並ぶ。これらの博物館は1824年から1930年の間に開館した。






参考資料
ベルリン博物館島(ムゼウムスインゼル) ―ドイツの世界遺産研究 その6 堀内正昭


ドイツ・ベルリンについてのメモ 都市のデザイン編 その3

・2つのメインストリート

①旧西ベルリンのメインストリート・クーダム通り
クーダム沿は広幅員の直線道路に沿ってカフェやブティック等が立ち並ぶ華やかな通りだった。
道路は両側の歩道、車道、道路中央には植栽とベンチ等が置かれた緩衝スペースが設けられている。



歩道は広くガラスケースに入れられた商品がお店の外にも設置されている。歩きにくいわけではないが直線の街路、車交通の多さによって歩いて楽しい通りではなかった。

 交通量はとても多い。
  


ヘルムート・ヤーン設計のNeues Kranzler Eckはこの通りに奥行きを与えている。


 参考URL  Neues Kranzler EckのHP


②旧東ベルリンのメインストリート・ウンターデンリンデン通り
通りの両脇には金融機関や歌劇場、フンボルト大学といった重厚な建物が並ぶ。飲食店やブティックの数は少ない。通りの視線を受け止めるようにブランデンベルク門と写真の建物が建つ。
夕方以降営業している用途が少ないために夜間の人通りは少ない。




 


ドイツ・ベルリンについてのメモ 都市のデザイン編 その4

・ベルリンの壁崩壊後に開発が進んでいるポツダム広場周辺

1920年代ではヨーロッパでもっとも活気があったと言われていたベルリン・ポツダム広場はドイツが東西に分裂された際に境界線が引かれたため無機質な壁だけが通った空白地帯となっていた。

ベルリンの壁崩壊後、この地区における再開発のコンセプトを定めるため1991年に設計競技が行われ、その後高層建築も建設可能という条件でダイムラーベンツ、ソニー等に土地が売却された。

ダイムラー・ベンツの社屋を含めたブロックはレンゾ・ピアノによるマスタープランに則って建設が行われた。
街区の統一性を持たせるためにすべての建物のファサードにタイルが使用されている。

アルカーデン内部には両端がガラスのカーテンウォールで閉じられたアーケードが設けられている。
 






アルカーデンの東側には線形の緑地が設けられている。

ソニーセンターはヘルムート・ヤーンによる設計で、楕円の広場を囲むように建物が並び、広場上部には鉄・ガラス・帆からなる大屋根が架けられている。







参考文献
ドイツ流街づくり読本 水島信著 鹿島出版社 


ドイツ・ベルリンについてのメモ 都市のデザイン編 その5

・ベルリンの壁跡に整備された公共空間

①イーストサイドギャラリー
イーストサイドギャラリーの東端最寄駅であるwarschauer str駅までSバーンで向かう。車窓から見える光景や駅からギャラリーへ向かう通りの雰囲気はウンターデンリンデンやクーダム周辺とは明らかに違う。目印のオーバーバウム橋に向かって足早に歩いた。







シュプレー川沿いのミューレン通りの壁約1.3kmがオープンギャラリーとなっており、ベルリンの壁に直接絵が描かれている。






②セイント・トーマス教会 (Saint Thomas Church) 前に整備された線形の緑地
ベルリンの壁は2枚の壁とその間の空白地帯で構成されていたことから、壁崩壊後の跡地もそれなりの厚みを持っている。セイント・トーマス教会前には幅員50m程度の跡地が残っており、そこには車道と共に帯状の公園が整備されていた。
教会内部には戦災によって破壊された街の写真や、壁があった時代の周辺の様子が展示されている。



 

   






  

③道路に残された壁の記憶
壁が取り除かれた跡に道路が整備されている場所では、当時の記憶をとどめるためにタイルによって壁のあった場所が示されている。