2011年10月22日土曜日

フランス・パリについてのメモ 都市構造編

都市構造について

都市の変遷編にて大まかな流れをメモしたので今回は緑地、道路・鉄道のネットワークといった都市構造についてメモしてみます。

パリ市は20の行政区からなります。(wikipediaより)


・緑地

緑地に注目してみると、都市の周縁を囲むように緑地が広がっています(以下の図は作成)。

西の大きな公園はブローニュの森、東がヴァンセンヌの森。北側にはベルナール・チュミによるラヴィレット公園、南側にはシトロエン公園やコルビュジエの建築を含む国際大学都市などがあります。

・河川・橋

市内を貫くセーヌ川には特徴的な橋(図の赤い部分)が多く、映画やドラマで見たことのある風景に出くわすことが多いです。

セーヌ川の中州・シテ島を核として市街地ができていったというのもユニーク彡


・街路網

オースマンの都市改造によってできた直線、広幅員、放射状の街路網は一目瞭然。場所によっては都市改造が及んでいない場所もあり複雑な街路網も見て取れます。




・公共施設、文教施設

有名な建築や施設は広い緑地とセットで設計されていることが多いように見えます。



・鉄道の空間

紫色で示したものが市内における鉄道(LEL)の主要駅、地下化されていない路線部分。
古い市門に変えて鉄道の駅を建設したという記述を見つけたので、赤色で示した2つの城壁跡地と重ねてみました彡
市内の路線網はほぼ地下化されているようです。



・パリ改造の位置

無秩序に広がっていった市街地は採光、通風が悪く、インフラも十分でなかった為環境の悪さが問題になっていたようです。また、人目の通りにくい複雑な市街地は反政府勢力にとって都合のいい場所となっており、改善する必要があったとのこと。。

これを受けて、1852年にパリ知事に就任したオースマンは都市改造に着手。下に示す図(from wikipedia)18521927年にかけて作られた街路を図式化したものなので、彼が職を辞したのちも都市改造は続いたということでしょうか。

街路を整備した場合、その波及効果が隣接する街区一つ分(街路から50Mと仮定)にまで波及すると仮定すると市街地のかなりの範囲に影響が及んだと考えられます。



・古い街路

オースマンは市街地をすべてクリアにしたのではなく、図のように主要な点と線を整備したので、今でも古い路地が残る地区があります。

古い路地の特徴としてその道路断面の形。
道路断面がV字型になっており、雨水は中央に集まったのち排水されます。昔は両脇の建物からごみや汚物が道路に捨てられ、道路にたまるという状況であったようです。



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