2012年7月12日木曜日

スウェーデン・ストックホルムについてのメモ 都市のデザイン編 その3


3.街路空間の対比 中世都市構造の情緒と19世紀都市デザインのテクニック


・ガムラスタン地区の構造

中世都市としてのストックホルムはガムラスタン地区で発展した。
地区を詳細に見てみると、この島の内部でも複数の街路パタンが組み合わされていることが分かる。

本家、杉本(敬称略)による「近世ストックホルム・ガムラスタン地区の都市空間に関する研究」
では当地区の街路網の変遷過程が詳細に述べられていたので以下部分的に抜粋した。

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ガムラスタン地区は12世紀頃からスウェーデン奥地との交易商業の中継都市として発展を始めた。

島の中央部は小高い丘になっており、13世紀半ば、ここに大広場が設けられ、教会や市庁舎が建てられた。

17世紀初め、ストックホルムはスウェーデンの首都となり、1620年から1670年にかけて人口は89千人から6万人へと急増した。

1626年、火災により島の西部が焼失し、1640年に海軍大将Klas Fleming により新たな街路計画が発表された。1697年には王宮が焼失した。
18世紀には水際の埋め立て、街区の拡張、新たな王宮の建設が進んだ。
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このように幾度かの都市改編を経験しつつも、基本的には細く入り組んだ中世都市の構造が残っている。

  


・Norrmalm地区、Östermalm地区の構造
Norrmalm、Östermalm地区はガムラスタン地区の北側に整備された市街地。
都市計画家Albert Lindhagenが両地区の計画に大きく貢献したという。
グリッド状の街路網の中に公園が点在し、グリーンウェイが公園同士を繋ぐ構成。

ガムラスタン地区と比べると整形の街区が目立つ。所々に配された斜めの緑道や広場がアクセントとなっている。
 

 
 
 

Östermalm地区のTessin Parkは先細りの形状によりパースの効いた空間がデザインされていた。

 水辺に沿って人が連なる。



 
ガムラスタン地区にみられる中世都市独特の細く入り組んだ街路空間は採光・通風・交通面では不利な点も多いが、独特の情緒が漂っている。

対してノルマルム地区、オストマルム地区では中世都市構造のような情緒はないものの、緑道、公園、広い街路網、街路と呼応するような建築デザインによって洗練された緑豊かな市街地が整備されている。

“ヨーロッパの街並み”とひとくくりにされることも多いが、その起源や時代背景を整理したうえで議論する必要があると感じた。


参考資料
本家円美、杉本俊多「近世ストックホルム・ガムラスタン地区の都市空間に関する研究」
wikipedia
History of Stockholm


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