2011年10月22日土曜日

フランス・パリについてのメモ 都市の変遷編

先日滞在したパリについて少しまとめてみました。
情報のソースはwikipediaがメインなので、あくまでも個人的なメモ程度です。


フランスの歴史(wiki等を参考にした個人的なメモ)


紀元前250年ごろParisiiと呼ばれる種族が現在のシテ島に集落を築く。361~363年にローマ帝国の支配下にはいったのち、パリと改名された。

・立地段階 (地勢・資源)
セーヌ川の中州に位置する場所に集落ができる。河川の航行や交易上の拠点として戦略的な位置を占める。



・成長段階(構造・営み)
34世紀は戦乱が絶えず、城壁が建設された。川に囲まれていた市街地が川の外側に広がっていき、それを囲むように新たな城壁が建設されていく。この時期から大規模な公共事業が行われるようになる。
カペー朝時代(11世紀前後)には王国の首都、学術の拠点、信仰の拠点として重要性を増していく。




・競争段階(位相・多様性)
1830年前後には産業革命により多くの人口が流入する。新たに建設された鉄道が人口増加を後押しする。




・成熟段階
1853年にパリ知事として任命されたオースマンは、パリ改造に着手。
旧市街地を壊したのち、直線的な大通り(ブールバール)や放射状に広がる大通りのネットワークに置き換えた。





古地図を図並べてみると街が拡大していく様子がわかります
城壁を作ってもその外側に市街地が広がり、それを取り込む形でさらに大きな城壁を作るという流れ。大砲などの重火器の発達に伴い市街地のより外側に城壁を作る必要が生じたという要因も考えられます。

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