2012年2月20日月曜日

雑談の雑談 兄弟旅行でのできごと

兄との旅行が終わった。
二人で海外旅行をするのはこれが2度目。

ミュンヘン、ベルリン、ローマを回る旅ではこれまでの旅行とは比べものにならないほど多くの事を学んだ。
いくつかは苦い経験も含むが、そのことを雑記したいと思う。



・ヨーロッパで食べるエスニック
旅行中は様々な国籍のレストランに足を運んだ。というのも、兄がドイツ料理の飾り気のない素朴な味に2日で飽きてしまったからであった。

インド、ベトナム、中華、イタリアン、韓国料理と様々な味を試したが韓国料理には一番満足させられた。
香辛料の効いたチゲ、様々なキムチ、チヂミの懐かしい味もそうだが、店内で起こるアジア独特の飾り気のない賑やかな会話や、親切な店主のサービスといった韓国料理独特の雰囲気に安心感を覚えた。

お会計は兄が支払っていたが2人分だと高くつくと愚痴をこぼしていた。



・波乱のサッカー観戦
兄はミュンヘンに来ると決めた日から、強豪サッカークラブ、バイエルンミュンヘンの試合を見るのを楽しみにしていたようで、チケットの手配を丸投げされていた。

バイエルンミュンヘンのチケットは年間チケット購入者と対戦相手への販売でほぼ売り切れてしまうらしく、なかなか手に入らないと聞いていたので、ドイツのチケット仲介業者に依頼することにした。

スタンド真横の席を2枚注文。都合上、チケットの配達が直前になることがあるといっていたのでのんびり構えていたが、3日前からさすがに心配になってきた。

2日前にも来ないので電話とメールにて問い合わせ。つながらず。
1日前には様々な手段でコンタクトを試みる。夜の10時に待望の電話。そして落胆の返答。

「まだ受け取ってないの?」

ああ受け取ってないんです。支払いは済ませていたのでこちらも引き下がれない。

この担当者いわく、当日の朝配達がない場合はまた連絡をしてほしいとのこと。配達がない場合でも、チケットは必ず貴方にお渡ししますと。

当日の配達は来なかった。そのことを告げると現地でのチケット受け渡しを手配するといわれた。
かなりテンパっているらしく要領を得ない。少し心配しながらもスタジアムに向かう。

最寄駅からスタジアムまでのアプローチはバイエルンミュンヘンのサポーターで埋め尽くされていた。サポーターグッズを自慢しあう子供たち、応援歌を歌う若者、赤いユニフォームを着こなす老夫婦。
また、チケットを売ろうとしている人たちもたくさんいた。
面倒な手続きなぞせずにここに来ればよかったと思いながら人の流れに乗って歩く。


スタジアムの前には大きなクマの像がある。
競技場とクマにどのような由縁があるのかは定かではないが待ちあわせの場所はそこだった。

しばらく待っていると声をかけられる。

「○○さんですか?」

はいそうです。あなたを待っていました。同時に安堵。
チケットの確認を行う。購入したチケットはカテゴリー1のもっとも高い席だったのでそのことを聞く。

yes, yes, It is your ticket. This seat is one of the best! 

そうですか。ありがとう。いろいろと手間をかけてすみませんでした。
スタジアムのショップや飲食店を覗きながらシートへ向かう。注文した場所とは違う場所に着いた。

再び電話にて確認すると落胆の返事。
どうやらランクの低いチケットでお茶を濁そうとしていたらしい。
向こうの主張はというと、こちらが知らせていた住所が異なっており、送付できなかった。それでもチケットを手配した。こちらも損をしながら今のチケットを手配しているとのこと。

こちらが教えた住所が間違っていたということはない。返送された確認メールにはちゃんとこちらの住所が書かれていたのだから。

ともあれ、これ以上交渉してもどうしようもない。選手は軽い運動をしながら試合の開始を待っている。
この試合を楽しむことに決めた。

バイエルンミュンヘンには各国代表のスター選手が並ぶ。
フランス代表のリベリーやオランダ代表のロッペンのプレーは周囲のものと違っていた。
独特のステップ、ボールタッチ、ボディバランスの良さなど、テレビではなかなか伝わってこない凄味が味わえたのはとても良かった。


兄は旅行中の空き時間をつぶすロールプレイングゲームを持参していたがプレーヤーはリベリーと名付けられていた。



・飛行機に乗れない? 
旅行の終盤、ローマからドイツに帰るため空港へ向かう。
街の中心テルミニ駅からフィウミチーノ空港へはバスで向かう。朝のんびりしすぎたせいで時間の余裕がない。あわててチケットを買い、ほぼ満員のバスに駆け込む。

予定通りならセーフ、渋滞していればアウトのタイミングだったが快調に飛ばすバスは予想よりも5分早く到着し、なんなくチェックインを済ませることができた。

これで飛行機も安心。しかし軽食に寄ったマクドナルドで時間をつぶしすぎた。

セキュリティーチェックに向かうが長蛇の列。ここで焦って前に入れてもらえばよかったのだがのんびり列に並んでしまった。
チェックを済ませて足早にゲートに向かうと係員に怒られる。

「私は5回もアナウンスしたのよ!5回よ!遅すぎる。もう乗ることはできない。」

血の気が引いた。
ここで乗れないとチケットの料金が無駄になるどころか、兄の帰国便に間に合うかどうかも怪しくなる。
係員は電話越しの誰かに大声で問い合わせていた。緊迫した空気。祈る兄弟。


電話を切った係員が首を横に振る。「遅すぎた。」

 しばらく交渉したがどうしようもならない様子。これでローマ・シュトットガルト間の格安航空券は紙切れとなる。
諦めて他の便を探す。

兄が帰国の便に間に合うためには翌日の昼までにはミュンヘンに行かなければならない。
条件にあうフライトはどれも高額で、僕たちが乗り過ごしたチケットの15倍はした。

飛行機をあきらめて電車での道を探す。ローマ発ミュンヘン行の夜行列車が見つかる。
値段も許容範囲だった。急いでチケットを予約し、テルミニ駅へ戻る。

駅で時間をつぶし、目的の電車に乗り込む。
予約した席は6人掛けのボックス席で、日本人兄弟以外に3人の同乗者がいた。

一人はローマに短期留学中のドイツ人の女の子、あとはバングラデシュから出張してきたというおじさん二人。
おじさんたちは50を過ぎていそうだったが英語の会話も問題なく、いろいろな話を聞かせてくれた。
ローマの人口の10%はバングラデシュ人だとか、昔大阪に行ったことがあるとか、息子さんのお話とか。
出張は終わったがもう少し長く滞在できるようになったのでドイツに足を延ばすことにしたらしい。

ドイツ人の女の子もフレンドリーでローマでの留学生活の話やドイツの故郷の話などをしてくれた。地元の街を尋ねると偶然の一致。「シュトットガルトの近く。知ってる?」

僕たちは今朝その街に行きそびれたんだよ。フライトを乗り過ごした話で談笑。
お気の毒にと笑ってくれた。

この場所で役に立ったのが地球の歩き方だった。
おやじさんの一人はミュンヘンとボン、キールの地図を熱心に見ている。
友人がボンに住んでおり、親戚がキールにいるらしい。
もう一人はイタリア版の地図を見ながら出張中に立ち寄ったモデナ、ミラノ、ベスビオ火山に埋もれた街の場所を教えてくれた。

12時間の道中、ボックス席に設けられた荷物置のようなベッドとシートで各々休む。兄弟は6本のビールを空け、おじさんはラガーマンのような帽子をかぶり、女の子は手編みの携帯入れを作っていた。早朝ミュンヘンに到着後、各々別々の場所に歩いて行った。


何はともあれ兄はフライトに間に合いそうだ。シュトットガルトを案内できなかったのは心残りだがミュンヘン、ベルリン、ローマは概ね観光できたのでよかったと思う。

自分はというと、ミュンヘン中央駅で兄と別れた後そのままハイデルベルク行の電車に乗り込んだ。これから西・北ドイツの都市を回る予定。



 ・ローマの人
ローマの旅行中には怠惰で不誠実な人によく出会った。
割高のタクシーバスに乗せようとするインフォメーションの職員、
注文とは違うメニューを割高で売るピッザリア、
顔も上げずに受け答えをする博物館の職員、
アジア人にバナナを渡して遊ぶバチカン博物館の職員、
おつりは渡したと主張するウェイター、
態度を変えるレジのおばさん、
差別的な発言を投げかけるコロッセオ前のグラディエーターもどき。

美しい街だったけれど、住みたいとは思わない。



・宿事情
宿泊先は前日にすべて手配した。
インターネットでの宿検索サイトbooking.comが使いやすく、条件に合う価格のホテルを地図上から探すことができる。
日本語に対応しており、今のところドイツ、イタリアのホテルでは問題なく検索できる。
ベルリンではアレキサンダープラッツ駅の近くで一泊23/一人、
ローマではテルミニ駅近くの4つ星ホテルを130/一人で手配できた。

ホテルによっては直前にディスカウントをするものもあるのでお手頃価格でいい条件のものがみつかることが多かった。



・未体験の寒波
2012年の冬、ヨーロッパは記録的な寒波に見舞われていた。
12月ごろは暖冬だと喜んでいたが、1月の終わりごろから本気の寒波が襲ってきた。
ミュンヘンでは氷点下15℃を下回る日もあり、身体に浸み込んでくるような寒さだった。

ミュンヘンでも最も冷え込みが厳しい時期に旅行に来た兄は一日で風邪を引いた。
それでも観光を続けていたが6日目は部屋でずっと眠っていた。
翌日行く予定だったローマでも積雪と氷点下を下る気温で一部の遺跡が閉鎖されているというニュースを聞いていたので、風邪が悪化するのを心配していたが、

到着すると雪は少し残っているものの過ごしやすい天気が続き、風邪も治り順調に遺跡群を回ることができた。


・戦争の記憶
ベルリンでユダヤ博物館、ユダヤ人犠牲者記念館、テロのトポグラフィーを見た。

2次大戦中の出来事について、様々な展示が行われていた。中でもテロのトポグラフィーではパブリックヒューミリエーション、街中で行われる公開処刑の様子など写真付きで解説されていた。

このような展示はベルリン以外の街にも多く設けられている。自分が見た中ではニュルンベルクのナチス党大会本部のたてものをが最も大きいものだった。

「日本ではこんな展示はみたことないよね」

「日本兵もひどいことをしたと言われているけれど、ドイツほど熱心にそれを教えることはしていないよね」

「日本は原爆で悲惨な被害にあってしまったから、されたことを展示するスペースはあっても、したことについて展示するスペースは作らなかったんじゃないかな」

なんて会話をしていた。



2012年2月9日木曜日

TUM(ミュンヘン工科大)のアーバンデザインスタジオ 箱の街彡



1/200, 1/50の模型、各種図面、パース、指定された形式のスライドを準備し、最終プレゼンに臨む。

他大学からの教授を招き、いつもより発表の時間も長め。
この先生の指摘が大変的を得ており、いつもよりも緊張感のある発表だったと思う。


これまでの講評会と一番違った点は、平面をしっかりみたということ。
この流れは上記した教授によってつくられた。


平面?当たり前でしょ? と思われるかもしれないが、このスタジオではファサードというテーマに集中するあまり平面に関する指摘はほとんどされてこなかった。

内部空間とファサードの関係なども指摘されることもなく、主に外壁の素材、開口のプロポーション、コンポジッションをひたすらに議論していた。

そのような視点も大事だが、さすがに2か月間もそれだけを議論するのは長すぎる。
外部からの講師が加わったことで足りなかった部分が補われたのはよかったと思う。

ファイナルということもあってスタジオ受講者以外の人も多く来ていた。前半に行われたリサーチプロジェクトも改めて展示された。


以下はプレゼンの様子。


いつも以上に巨大な模型が並ぶ。







模型の写真。すべて1/50。





これで約4か月間続いたスタジオ課題を終えたことになる。
都市空間を形成する一つの要素としてファサードを捉え、地区スケールからのボリュームスタディ→通りから見たファサードスタディ→ファサードのディティールと組み立てていく流れは良かったとおもう。
しかし、内部空間について無関心、アシスタントの過度の干渉、必要以上のレギュレーション等、不満に思う点も多い。


すこし苦い課題だったが学ぶことは多かった。
さて、講評会のあとには簡単な打ち上げがあったが用意されたワインが秀逸、その名は”グラフィソフト”。設計課題のあとにはちょうどいい彡