2012年1月15日日曜日

ドイツ・フライブルクについてのメモ 都市のデザイン編 その2

フライブルク 都市のデザインの第2回は、 旧市街地を貫くトラムのトランジットモールについて。

市街地西側に位置する中央駅から延びるベルトルド通り-ザルツ通り、
街のメインストリート カイザーヨゼフ通りがトランジットモールとして整備されています。












1. ベルトルド通り-ザルツ通りのトランジットモール
ベルトルド通りのトランジットモール沿いには市立劇場、フライブルク大学など重要な施設が並んでいます。

フライブルク中央駅と立体的に交差します。
トラムの乗り場・市街地に繋がる歩道と駅とは階段で繋がれています(写真下)。
 階段を上って旧市街地の方角を眺める。
 立体交差する部分はかなり重厚感がある作りで、”橋”という印象ではありません。
 軌道と歩道では同様のテクスチャが使われています。街中では自然石を用いた舗装を行うというコンセプトが貫かれている。
ベルベルト通りの路線は途中から緩くカーブしています。個人的な感想ですが、直線のものと比べて緩くカーブしたトランジットモールはより親密な印象を受けます。
道の先からヒョッコリトラムが現れる面白さがあるのかもしれません。
メインストリートと交錯する部分。写真のトラムは停車中のもの。人と乗り物の近さはトランジットモールならでは。
ザルツ通りの狭い区間。少し歩道が窮屈。
 ザルツ通りの東端には昔の城門がありますが、トラムはそこを器用にとおりぬけていきます。



2.カイザー通りのトランジットモール


カイザー通りのトランジットモールは幅員が広く、人の流れも多い点がこれまで見たものと異なる点。


 カイザー通りの南端も城門の下をくぐる。何とも不思議な光景彡


次は 街中を流れる小さな水路(ベッヒレ) についてです。


ドイツ・フライブルクについてのメモ 都市のデザイン編 その3

フライブルク 都市のデザインの第3回は、 街中を流れる小さな水路(ベッヒレ)について。



街中には上の写真のような水路が数多くあります。下図はベッヒレの場所をマッピングしたもの。
旧市街地内部に広く分布しています。
 市HPを元に作成 http://www.freiburg.de/servlet/PB/show/1186660/6Bchle%20Freiburg%20im%20Breisgau.pdf
資料によると、ベッヒレは元々生活用水として利用されていたとのこと。他にも火災の際は消火活動の助けになったと記載されていました。

この可愛らしい水路は第二次大戦中に増加する交通を支えるために閉鎖されてしまいましたが、今日では復原され、涼しげな景観を形成しています。子どもたちにはとくに人気が高いとか。

水路、端部のデザインにもバリエーションがあります。






小さな路地に沿ってひっそりあるものも。

 トランジットモールとベッヒレの合わせ技。夏の晴れた日を想像すると涼しげ。

参考資料
フライブルク市HP


ここからは雑談彡

このような街中の小さな水路は、あるバックグラウンドを持つ日本の市街地にも応用できるのではと思いました。

あるバックグラウンドを持つ場所とは、
農業を生業とする小さな集落がスプロールする市街地に取り込まれ、現在では昔の建物や水田はないものの、複雑で細いあぜ道の形態がそのまま道として残っている場所。

修士のリサーチプロジェクト対象地(福岡市 美野島)がちょうどこの条件を満たすところでした。

現地調査をしている時分、生き字引の老人に昔の水田の様子、あぜ道の脇に流れる水路で遊んだ記憶を話していただいたことを覚えています。

あぜ道をバックボーンにもつ細く(時には曲がりくねった)路地の構造は知識や記憶がなければただ不効率で使いにくいモノに成り下がってしまいますが、
水田が広がっていた場所の記憶を水路とあぜ道の形態によって現在に繋ぐ提案は、路地的な歩行空間と相まって魅力的な場所になるかなと勝手に想像を膨らましていました。

ドイツ・フライブルクについてのメモ 都市の構造編

名称: Freiburg im Breisgau
バーデン=ヴェルテンベルク州
人口: 224 994(2011.6.30)
市域面積:153.06k㎡
森林面積:64k㎡
大学:フライブルク大学(http://www.uni-freiburg.de/)

・概要
スイス、フランス、ドイツの国境沿いに位置する。黒い森シュバルツヴァルトの中心都市。フライブルク大学の大学街。

1118年、ツェーリンゲン公ベルトルト3世という人物が、ここに新しい都市を建設するためにケルンなどから商人や職人を招き、1120年に自然発生的ではない計画的中世都市が建設された。 
1457年には、フライブルク大学が創立される。

1678年仏領の一部となり、要塞建築家として有名なヴォーバンによって城塞化された。

・大戦後の概要
1944年11月フライブルグも大空襲にあい、旧市街だけでなく郊外も破壊された。
大戦後の復興計画においては、自動車の普及を推進する計画もあったが、当時の担当者の反対により、ほぼ元どおりの街に復元することとなった。

1967年にフライブルク市の都市計画局長に就任したクラオス・フンベルト博士は、
①  中心市街地への自動車の乗り入れ禁止、
②  歴史的コンテキストを守る新しい建築の誘導、
③  水路の再生、
④  緑化の推進、
⑤  路面舗装の演出、
などの政策を打ち出した。

1971年、原子力発電所を建設する計画を打ち出されるが農民、学生らによる反対運動がおこる。
同時期には交通渋滞が深刻化し、排気ガスによる大気汚染、さらに酸性雨によるシュヴァルツヴァルトの樹木の枯死などが起こり、市民の環境に対する意識が高まる。
(結局チェルノブイリ原発の事故をきっかけに原発建設にはブレーキがかかる)
この時期に起こった省エネ運動が、自然保護・環境保護運動へと加速。市には多くの環境保護団体の本部や、環境に関する研究所、調査機関の本部が置かれるようになる。環境保護に目覚めた「市民」から投票を得るためフライブルク市で立候補する政治家・政党は保護政策を第一に訴えねばならなくなり、環境都市としての様々な取り組みに繋がる。

他にも、中心市街地のトランジットモールを含む大規模な歩行者専用道路網、環境に配慮したヴォーバン地区の街づくり等も有名。

―都市構造―
・城壁跡



フライブルクの古地図と模型(1589年 Historisches Kaufhausにて撮影)を見ると当時の城壁(塁堡)の様子がわかります。

古地図(1713年 )から、フランス領になった後、ヴォーバンによって要塞が新たに作りかえられていることがわかります。1589年の時点で存在した南側の市街地はこの時点でなくなっています。
現在の地図に重ねてみると下図ようになるようです(Historisches Kaufhausにて撮影)。

・地形
オレンジ色の点線で囲まれた範囲が昔城壁で囲まれていた範囲。
市街地の東側には山地が広がっています。西側は比較的平坦な土地が広がっており、18km程行くとライン川が流れます。

・緑地
シュバルツバルト(黒い森)の中心都市と言われる通り、周囲には森が多く広がります。

・水系
大きな河川に面しているわけではありませんが、山から流れる河川から街中に運河を引きこんでいます。また、旧市街地内の街路脇にはベッヒレと呼ばれる小さな水路が流れ、特徴的な景観を成していました。

・街路網

バイパス・幹線道路・トンネルを除き、自動車の制限速度を30km/hに設定され、
9割の住民が30km/hの速度制限地域内に住めるようになっているとのこと。




・歩行者専用道路
図のオレンジ色の部分が歩行者専用道路。旧市街地内の街路がほぼ全て含まれている、というか、旧市街地から自動車交通を締め出したと言ったほうが近い感覚。
歩行者道路のいくつかはトランジットモール化されており、中心市街地へのアクセシビリティを確保しています(下図ピンク色の線がトラムの路線)。

次回は都市のデザインについてメモしてみます彡


・参考URL
google map
http://maps.google.co.jp/maps
フライブルク市HP
http://www.freiburg.de/index.html
第10回 経済学部学内ゼミナール大会より
フライブルク大学のページ
前田成子先生による「フライブルク環境レポート」
エコロジーオンライン
みんなの党神奈川県議会議員団活動報告ブログ