2012年1月15日日曜日

ドイツ・フライブルクについてのメモ 都市の構造編

名称: Freiburg im Breisgau
バーデン=ヴェルテンベルク州
人口: 224 994(2011.6.30)
市域面積:153.06k㎡
森林面積:64k㎡
大学:フライブルク大学(http://www.uni-freiburg.de/)

・概要
スイス、フランス、ドイツの国境沿いに位置する。黒い森シュバルツヴァルトの中心都市。フライブルク大学の大学街。

1118年、ツェーリンゲン公ベルトルト3世という人物が、ここに新しい都市を建設するためにケルンなどから商人や職人を招き、1120年に自然発生的ではない計画的中世都市が建設された。 
1457年には、フライブルク大学が創立される。

1678年仏領の一部となり、要塞建築家として有名なヴォーバンによって城塞化された。

・大戦後の概要
194411月フライブルグも大空襲にあい、旧市街だけでなく郊外も破壊された。
大戦後の復興計画においては、自動車の普及を推進する計画もあったが、当時の担当者の反対により、ほぼ元どおりの街に復元することとなった。

1967年にフライブルク市の都市計画局長に就任したクラオス・フンベルト博士は、
  中心市街地への自動車の乗り入れ禁止、
  歴史的コンテキストを守る新しい建築の誘導、
  水路の再生、
  緑化の推進、
  路面舗装の演出、
などの政策を打ち出した。

1971年、原子力発電所を建設する計画を打ち出されるが農民、学生らによる反対運動がおこる。
同時期には交通渋滞が深刻化し、排気ガスによる大気汚染、さらに酸性雨によるシュヴァルツヴァルトの樹木の枯死などが起こり、市民の環境に対する意識が高まる。
(結局チェルノブイリ原発の事故をきっかけに原発建設にはブレーキがかかる)
この時期に起こった省エネ運動が、自然保護・環境保護運動へと加速。市には多くの環境保護団体の本部や、環境に関する研究所、調査機関の本部が置かれるようになる。環境保護に目覚めた「市民」から投票を得るためフライブルク市で立候補する政治家・政党は保護政策を第一に訴えねばならなくなり、環境都市としての様々な取り組みに繋がる。

他にも、中心市街地のトランジットモールを含む大規模な歩行者専用道路網、環境に配慮したヴォーバン地区の街づくり等も有名。

―都市構造―
・城壁跡



フライブルクの古地図と模型(1589年 Historisches Kaufhausにて撮影)を見ると当時の城壁(塁堡)の様子がわかります。

古地図(1713年 )から、フランス領になった後、ヴォーバンによって要塞が新たに作りかえられていることがわかります。1589年の時点で存在した南側の市街地はこの時点でなくなっています
現在の地図に重ねてみると下図ようになるようです(Historisches Kaufhausにて撮影)。

・地形
オレンジ色の点線で囲まれた範囲が昔城壁で囲まれていた範囲。
市街地の東側には山地が広がっています。西側は比較的平坦な土地が広がっており、18km程行くとライン川が流れます。

・緑地
シュバルツバルト(黒い森)の中心都市と言われる通り、周囲には森が多く広がります。

・水系
大きな河川に面しているわけではありませんが、山から流れる河川から街中に運河を引きこんでいます。また、旧市街地内の街路脇にはベッヒレと呼ばれる小さな水路が流れ、特徴的な景観を成していました。

・街路網

バイパス・幹線道路・トンネルを除き、自動車の制限速度を30km/hに設定され、
9割の住民が30km/hの速度制限地域内に住めるようになっているとのこと。




・歩行者専用道路
図のオレンジ色の部分が歩行者専用道路。旧市街地内の街路がほぼ全て含まれている、というか、旧市街地から自動車交通を締め出したと言ったほうが近い感覚。
歩行者道路のいくつかはトランジットモール化されており、中心市街地へのアクセシビリティを確保しています(下図ピンク色の線がトラムの路線)。

次回は都市のデザインについてメモしてみます彡


・参考URL
google map
http://maps.google.co.jp/maps
フライブルク市HP
http://www.freiburg.de/index.html
第10回 経済学部学内ゼミナール大会より
フライブルク大学のページ
前田成子先生による「フライブルク環境レポート」
エコロジーオンライン
みんなの党神奈川県議会議員団活動報告ブログ

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